1582年、織田信長が京都の本能寺で明智光秀に襲われて死ぬ。
【暗記用俳句】 ♪本能寺 信長焼かれる 十五夜に(1582)
本能寺の変とは?
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、1582年(天正10年)6月21日の早朝、京都にある本能寺に滞在していた織田信長を、家臣である明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である。
信長はこのとき、寝込みを襲われ、包囲されたことを悟ると、寺に火を放って自害して果てた。信長の嫡男(ちゃくなん)で織田家当主の信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり館に火を放って自刃した。これら2人の非業(ひごう)の死によって、織田信長の政権は崩壊し、光秀は天下人となった。
しかしながら、光秀はその後、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ、わずか11日後に信長同様の運命をたどった。この事件は戦国乱世が終息に向かう契機となった事件で、戦国時代における最後の下剋上ともいわれる。
なお、光秀が謀反を起こした理由については、未だ定説がない。
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